初めての記事の反応についてお伝えしたいこと

この約2ヶ月間でたくさんの方にブログの記事をシェアして頂きました。

応援してくださった皆様ありがとうございます。

本日、共産党サポーター制度の相談会に参加させて頂きました。

無党派の思いと党関係の方々の思いをぶつけ合う良い機会になりました。

同時に、まだ強く残る感覚の差、求めるものの違いが明確になったとも思いました。

この差をどうやって埋めるかは、わたしたち無党派共産党の方々に説明できるかどうかにかかっていると思うので、何回かに分けて書いていきます。

相談会やそのあとの参加者のやり取りで考えたことを記す前に、私の育った環境を綴りたいと思います。

 

私は「ふつうの人」ではありません

共産党サポーター制度があったらいいな、というひとりの肉球新党党員の意見 - 営業ブチョーのひとりごと

まず、こちらの記事を書いて共産党の方から頂いた反応の中で、この誤解は解いておかないとなと思ったことがあるので記しておこうと思います。

私は3.11の後の反原発の運動が広がったときよりもずっと後、安保法制が可決されようとした6月後半くらいから初めて動き始めた人間です。これについて「政治に興味なかった人がこの短期間でここまで活動されるようになったんですね」というようなリプライを頂きました。これには大きな語弊があります。

確かに私が実際に行動に移そうとした時期はとても遅いですが、「世間一般の人」ではありません。社民より+民主よりの両親に育てられ、祖父母から戦争の恐ろしさを幼い頃から聞かされ、米軍基地のある横須賀で、小学校から戦争体験者の話を聞くような教育を行う教師に教わり、防空壕の横を通って通学し、政治に対して詳しくないけれど投票率を見ては「私には投票することができないのに捨てるなんて」と悔しい思いを抱き、いつから芽生えたか分からないけど憲法は非常に大切なものという認識があった人間です。これが高校くらいまでの話ですが、世間一般を考えると、少数派だと思っています。さらに大学でリベラルな教授たち、投票するなら野党な友人達に囲まれて過ごしました。

世の中の多くの人は、祖父母か両親の誰かに(付き合いで入ったか、能動的かは別にして)自民党員がいるとか、両親が選挙に行かないから自分も行く習慣がないとか、選挙には行くけど自分の生活とどう繋がっているかわからずに適当に選んでいるとか、メディアに流される情報をそのまま素直に受け取り与党の考えに染まっている人とか、それに似た人が多いのではないかと思っています。(もちろんそういう人だけでないのは分かってますが)

実際には身内以外の人とも接触して学習していくので、ここまで単純に考えることはできませんが、育った環境がいかに違うのかはお分かり頂けると思います。

 

 私自身、ふだんは自分のことを「ふつう」だとか「一般人」と言ってるし、「ふつう」だと思ってはいますが、こういうある種特殊な環境で育っているので実際は「世間一般の人」からすると「ふつうの人」ではないと思います。なので、私に通じることが、「世間一般の人」にはまず通じないことを強調しておきたいのです。

 

何が言いたいかというと、「憲法守って(護って)くれる政治をして欲しい」私は本当に少数派で、これを「世間一般の人」に訴えかけるとまず上手く行かないので、その人に応じたアプローチをして欲しいなということです。

※決して共産党の既存組織を否定してるわけではなく、そうやって味方を増やしていってもらえたらなと。闘い続けて下さった方がいて、今の生活とブレない野党がこの規模で残っているので、リスペクトしています。

 

追記

私と同じような考えを持つ方が「わたしはふつうだと思っていたのだけど」と思われるかもしれません。自分自身「ふつう」というのは、海外でここまで酷い政治が起きたなら国民は声をあげ、そのまま政治家をそこに添えることを許さないと思います。そういうこんなの当たり前でしょ?という意味も込めての「ふつう」です。しかし日本での「ふつう」といえば、政治の話はある種タブー扱いです。「世間一般の人」は政府に抗議するのは「ふつう」であると認識してはいない人がほとんどではないでしょうか。

私は大学時代に電車で政府の政策を批判していたら「しー!こういうところで話すのは良くないよ」と注意を受けました。最近では参院選のときに友人達へLINEで投票依頼したら、仲の良い有人でも既読スルーの子もいました。食事行ったりはするけれど、政治の話になるととたんにドン引きされるんです。(しかも公立大卒の頭の良い子でした)ショックなのは学生時代よく政治の話をしていた子達まで、ドン引きとはいかなくても引いてる様子が分かったことです。ただ会話の中で政治問題が出たときに「選挙行ってね」と言っただけで。参院選のときは改憲の焦りから久々に連絡とった友人にも投票依頼したため、普段の関係ができてないのにハードル高いお願いしたなと反省しました。普段からの信頼関係が大事なんだなと痛感したので、それからは普段より意識して友人と連絡を取るようになりました。

ついこの間の衆院選で約半分の有権者が投票に行かず、南関東ブロックでは選挙に行った有権者のうちの約67%が自公希望維新に投票しています。立憲野党に投票した人が33%もいないのです。その中で、実際に声をあげたり、行動している人はもっと少ないでしょう。現実として私達は多数派ではありません。「世間一般の人」の「ふつう」の枠には入らない。でもそれは悪いことなのでしょうか?「世間一般の人」が考える「ふつう」になる気は私にはありません。

これだけ「ふつう」に対する認識が違っていても、抱えている悩みは似通っていたりします。仕事、子育て、介護など。違いを認識した上で無党派である私達も、普段政治にあんまり興味ないと思ってる人たちに対して、どうしたら立憲野党に投票してくれるのか、つまり投票するメリットを感じてもらえるように伝えられるか意識する必要があるのではないかと思います。